top of page
私たちは鹿、そして自然に対峙する時、
尊厳、畏敬、円環、循環を想い
祈りを捧げ、事を始めます。
みな生きて、死ぬ、という
大きな循環の中に自分達も居るということ。
私たちは
ただ楽器として
鹿ドラムを作っているのではありません。
鹿がドラムに移り変わってゆき
それを打ち鳴らし、声をあげるとき
私たちはいつの間にか
その循環の中にいることに気づかされるのです。
このプロセスを体感し
身体に通過させることで
物質的なものを得るより
はるかに大きな気づきがあると
私たちは信じています。
bottom of page