鹿ドラムと殻と嘴
- 森永潤一郎

- 2022年12月9日
- 読了時間: 1分
更新日:2023年1月7日
どこまでが鹿なのか
いつの間にそうでなくなるのか。
どこまでが”生”で
どこからがそうではないのか
ということをおもう。
もしかすると
継ぎ目のない連続性がただそこにあるだけなのかも知れない。
現代人はあらゆる情報を手に入れられると思い込んでいる。
でも、自ら手に触れられる第一次情報はとても断片的です。
手触りのない断続的な情報の中に生きていて
そのために命、死、生きるということと乖離しているように思います。

鹿のドラムを作ること
それは円環の連続性を丸ごと飲み込める体験のような気がするのです。
鹿のドラムを作ることは
いつの間にか、卵の殻の膜のように取り囲んでいる固定概念の世界の端っこまで行って、その殻を内側から突く嘴である気がするのです。





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